


この聖堂と私の特別な思い出
この聖堂と私とのつながり、個人的な関わり。
その教会の存在に、私はとても感謝しています!
7歳から13歳の時、私は音楽とダンスを習っていました。
朝から始まる学校の授業は、12時から14時の間に終わります。
それから、私は音楽の授業へと、そして、そのあとにダンス教室へと通っていました。
音楽学校とダンス教室は歩いて15、20分くらい離れた場所に、それぞれ建っていました。
ダンス教室は個人住宅の集まる住宅地の中にあり、
通常は18時まで、たまに、19時まで開いていました。
この近くに教会がありました。
2つの授業時間の間には、1.5から2時間ほどの、長い空き時間がありました。
冬の野外。
マイナス30度ほどの寒さの中、血液は血管の中でガチガチとなり、
恐らく、あなたと同じように思うかと思いますが、
私も外をふらつくようなことはしたくなく、
ダンス教室のある住宅地で、マローズ(厳寒)の下、
この2時間の間、何処へ身を伏せればよいだろうか?と考えました。
このマローズから私を救い出してくれたのが、この教会だったのです。
傍の道沿いで、私は、手が火傷するように温かい臓物とたまねぎのピロシキを買い、
いつも、教会へと逃げ込んでいた訳です。
教会の角っこで、すぐに、美味しくて温かなピロシキを食べ尽くし、
そして、ダンスまでの時間、ベンチに座って温まっていました。
夜の9時か10時に、両親が私をダンス教室に迎えに来ていました。
たまに、交通事情により、彼らの到着が遅れることがありました。
そのときは、また、あの教会が救ってくれました。
そこは、暖かく、危険のない、きれいな場所であり、
そして、素晴らしい歌の旋律が奏でられていました。













